あれから16年…早稲田のスーフリ和田が出所しインタビューに答える
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スーフリ和田サンからお前らに出所のご挨拶
1:名無しさん@涙目です。2019/02/24(日) 10:14:52.60 ID:L46y5rHm0.net BE:711292139-PLT(13121)
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全文ソース
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/02131700/?all=1
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」による輪姦事件が発覚したのは2003年。稀代の鬼畜集団を束ね、仲間内で「和田サン」と奉られていた和田真一郎氏(44)には懲役14年の刑が下った。その本人が昨年、ひそかに刑務所を出所。懺悔と贖罪の念を吐露した――。
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塀の外へ出て、最初に口にしたのはステーキでした。15年ぶりの肉の塊は、この世のものとは思えないほど美味で、長らく味わうことが許されなかったご馳走を前に、冗談ではなく本当に涙が出そうになりました。
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塀の外へ出て、最初に口にしたのはステーキでした。15年ぶりの肉の塊は、この世のものとは思えないほど美味で、長らく味わうことが許されなかったご馳走を前に、冗談ではなく本当に涙が出そうになりました。
全文ソース
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/02131700/?all=1
スーパーフリー事件(スーパーフリーじけん)は、早稲田大学のイベントサークルを舞台にして組織的に行われた大規模な輪姦事件。1998年~2003年の間に数百人以上の女性が輪姦された[1]。 早稲田大学の元公認サークル「スーパーフリー」のメンバーである大学生らは、1998年4月から常習的に女子大生らへ輪姦を行っていた。2003年5月18日に警察に被害届が出されたことで初めて発覚した。早稲田大学の他にも東京大学、慶應義塾大学、法政大学、学習院大学、日本大学といった首都圏の大学の学生ら合わせて14人が準強姦罪で実刑判決を受けた。 この事件は重大な社会的波紋を呼び、2004年の集団強姦罪・集団強姦致死傷罪の創設につながった。 起訴されたのは3件の輪姦についてのみであり[2]、関与した多くの者が未逮捕のままとなった。輪姦を幇助した女性も多数存在したが、女性は1人も逮捕されなかった。 「スーパーフリー」は「スーフリ」と略称されることもある。
次のような常軌を逸した言葉がスーパーフリー内でやり取りされていたことが公判で認定されている[2]。 「女は撃つ(強姦する)ための公共物だ」 「新入生の女は酒も弱いし、ゲームも弱いから、すぐにでも回せるんだ(輪姦できるんだ)」 「4月は撃てる(強姦できる)」 (ミーティングで二次会後の輪姦をやめたらどうかという意見が出された際)「あり得ない。二次会(輪姦)はおれの生き甲斐だ」 「回し(輪姦)に参加しないスタッフは一人前ではない」 「回し(輪姦)によって連帯感を高める。そうすればやる気が出る。それがイベント成功の秘訣である」 (輪姦被害者が自らの着衣に付いた精液をトイレットペーパーで拭くなどといった惨めな作業をしていた際)「みんなの前で泣かない方がいいよ」
東京拘置所に収監された代表者は暇を持て余して別の被収監者と文通しており、その文面の一部が週刊誌に報道された[36]。代表者はちょっと派手にやり過ぎてしまったのです。ほんの数回なら問題になるはずもありませんが、長年まわし続けて遂に地雷を踏んでしまいました。私たちの周りに集まる女はヤリマンが多いので、まわされても喜んでるくらいでアフターフォローを怠りがちになっていたのが致命的でした。 彼女はいません。欲しいと思ったこともありませんね。私はセックスは好きですが女は嫌いなんです。 刑務所で公認会計士の勉強をするつもりです。(略)沖縄が大好きで、これまでに20回近く旅しています。いつかは住みたいと思い続けていました。あの美しい海を毎日眺められたら最高ですよ。などとと語っていたという[36]。
2019年2月14日に週刊新潮において7ページの手記を発表し、自らの半生や犯行動機について記述した[1]。1対1のセックスから輪姦に移行した理由は、セックスできる女性を自分だけが独占するのは悪いという感覚があったためとした。また、周りの女性を「バカ短大」と見下していたとした。被害者に賠償金を払いたい旨を表明した。続きを読む
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